塚本邦雄『水葬物語』三島由紀夫宛献呈本 入荷

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f:id:parakeets:20210807101206j:plain塚本邦雄『水葬物語』メトード社 昭和26年 限定120部の内第36番 三島由紀夫宛毛筆署名入献呈本 三島感応の歌に赤及黒鉛筆にて書入 カバー(ヌレ、背裏補修有) 拵帙

 

2021年8月7日は、塚本邦雄誕生の日から数えてちょうど101周年にあたる。最初期の仕事の集成となった第一歌集『水葬物語』の発行年月日はみずからの生辰に引きつけた1951年8月7日であるから、その時から数えるならば70年。こうした日に本書を展観する運びとなったこと自体、なにかその数字の並びようから、塚本歌の生理にも通じるような時日の幾何学的な采配が感じられてならない。


ここに、塚本邦雄の歌とその名をはじめて文壇に知らしめた10首がある。戦争による中断をはさみ、アプレと呼ばれ始めた作家たちを硬軟相交じる編集のもと送り出しつつあった文芸誌「文學界」、その1952年9月号の全体4分の3あたりに、猟人と獲物を描く飾画を敷いたかたちで一行詩とみえる活字が見開きに並んでいる。それらの行文が短歌であると示すものは、ページの左下隅に丸括弧で記された(歌集『水葬物語』より)という文字だけだ。

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文學界」1952年9月号

  

注記はないけれども、この10首掲載が同号に小説を連載していた三島由紀夫の推輓によるものであることは疑いを容れない。それはなぜか。

 

今回当店の仕入れた『水葬物語』を繙くと、いくつかの事実が見えてくる。 

 

まずはカバー。多行俳句をこころみる前衛俳人高柳重信が発行人を引き受け、みずから活字を拾った本書は、袋綴装を採用した和装本である。やはり俳人であり装潢師の池上浩山人が製本を担当した。四つ目綴じの本冊の上から銀の光沢をもつ水色のダストジャケットが巻かれているのが特徴だが、当品のカバーには小口側折り返しと背表紙角に手擦れが見られ、それが三島由紀夫の紛れもない手沢本であったことを証している。

 

次に限定記番。巻末をみると本書には限定120部のうち36番が振られている。120冊が刷られた本書は書店での販売はなされず、前川佐美雄や近藤芳美などの限られた例外を除き、おおかたの著名歌人に献呈されることもまたなかったようである。むしろ、加藤周一中村真一郎福永武彦マチネ・ポエティクのメンバーや、「短歌研究」の若き編集長として頭角をあらわしつつあった中井英夫など、極私的な敬意の対象であった人物に対してのみ『水葬物語』は封緘が施された。刊行から4年後、1955年に「チェホフ祭」50首で短歌研究新人賞を射止めデビューした寺山修司、そして同じく1955年に塚本と知遇を得、翌1956年には第一歌集『齊唱』を世に問う岡井隆のもとにもそれは送られることになるが、かれら《前衛短歌三羽烏》のうち二名の『水葬物語』記番はそれぞれ「95」と「88」であるので、その頃には在庫も払底に近づいていたようだ。三島宛となる第36番本は、身辺の知友に次ぐ最初期の時点で献呈されたものとみえる。

 

最後に、三島由紀夫による黒鉛筆、赤鉛筆による書入。4Bから6Bあたりの軟芯だろうか、相当につよい筆圧の黒鉛筆による丸印が60首の上に、そしてその丸の傍に記されているからおそらくは時期を違えて、やはり軟芯の赤鉛筆によるチェック印が20首の上に書き入れられている(そのうち印が重複する歌は15首、赤チェック印のみの歌は5首)。結論からいえば、先に引いた「環状路」10首すべてが、この黒鉛筆丸印の歌から採られているのである。ずっと後になって『定本 塚本邦雄湊合歌集』別冊に収められた年譜にははっきりと「文學界」掲載が三島の推薦を受けてのことである旨が綴られていたから、この事実関係に間違いはない。f:id:parakeets:20210807102349j:plain

  

さらに付記しておきたいのは、「文學界」掲載の連作「環状路」が、実は『水葬物語』に収録されている連作「環状路」とは、おなじ題をもつにもかかわらず異なった内容を有しているということ。詳細を説明すると以下のようになる。文學界版「環状路」は、『水葬物語』全体から三島が特に深く感応した歌を収録順に10首抜き出し、新たな10首連作の体裁に落とし込んだものである。ただし〈殺戮の果てし野にとり遺されてオルガンがひとり奏でる雅歌を〉のみ、収録順を無視して10首目に置かれている。もはやこれは、三島由紀夫の選によるベスト版『水葬物語』であるといっても過言ではないだろう。

 

三島が印を記した歌に目を戻すと、次のような、現在では塚本初期の仕事のなかでも代表作と目される歌が看過されているのは意外な気がする。

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

黴雨空がずりおちてくる マリアらの眞紅にひらく十指の上に

しかもなほ雨、ひとらみな十字架をうつしづかなる釘音きけり

赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へ咲くヂギタリス

湖の夜明け、ピアノに水死者のゆびほぐれおちならすレクィエム

戰争のたびに砂鐵をしたたらす暗き乳房のために禱るも

ゆきたくて誰もゆけない夏の野のソーダ・ファウンテンにあるレダの靴

父母よ七つのわれのてにふれしひるの夕顔なまぐさかりき

受胎せむ希ひとおそれ、新綠の夜夜妻の掌に針のひかりを

卓上に舊約、妻のくちびるはとほい鹹湖の曉の睡りを

ここを過ぎれば人間の街、野あざみのうるはしき棘ひとみにしるす

園丁は薔薇の沐浴のすむまでを蝶につきまとはれつつ待てり

反対に、

昆蟲は日々にことばや文字を知り辭書から花の名をつづりだす

という、どちらかといえば塚本評価本道の埒外に置かれてきたと思われる佳篇を採り得ているあたりは三島由紀夫の真面目といえる。たとえばいま現代の短歌に親しむわたしたちの目で『水葬物語』をみたとき、歴史的意義等を抜きにして最も慕わしく感じられるのは、案外このような歌であるかもしれない。

  

こうして三島由紀夫による決定的な紹介を経たのち、「塚本邦雄ブーム」とさえいわれた熱狂的・水平的な一般読者層への流布にいたるまでには、まず1965年の吉本隆明『言語にとって美とはなにか』における言及、そして1970年時点で初の作品集となる『塚本邦雄歌集』(白玉書房刊。『水葬物語』から『感幻樂』までの6歌集を収める)、また1971年のアンソロジー『現代短歌大系』(三一書房刊。全12巻のうち第7巻に塚本邦雄を収録。責任編集:大岡信塚本邦雄中井英夫)などの刊行が準備されることになるだろう。塚本邦雄受容史において、それらすべての端緒に位置するのが、この三島由紀夫宛『水葬物語』なのである。 

 

以上のように、現在第一人者に数えられる歌人から小説家へといった、他のジャンルとの架橋を担ったアソシエーション・コピー(その書物にとって重要な意味をもつ人物が座右におき、書き込みを施した手沢本をいう)は、古今の詩歌俳句界全体を見渡してもほかに類例をみない。現在の短歌読者および実作者それぞれの飛躍的な拡大、深化という状況に鑑みても、今後いよいよその重要性はあきらかになってゆくだろうと思われる。

 

          *

 

当品がたどった来歴についても触れておく。

 

三島由紀夫の自刃より数年が経ったころ、この『水葬物語』は親族の手によって東京・大森の古本屋山王書房(夏葉社復刻の『昔日の客』で知られる関口良雄が経営)に持ち込まれたのち、古書組合の業者市に出品された。入札にもちいる封筒がはち切れるばかりに膨らんだというそれを辛くも落札した別の古本屋があり、その後かれの手によって一般の目に触れるデパート展のガラスケースに並べられた。当時まだ三十代に差しかかるかという少壮の蒐書家が「月給手取りの丁度4ヶ月分」という値段でそれを購入することになるのだが、この青年こそ、やがてのちには福永武彦幻の第一出版である『マルドロオルの歌 畫集』(1941年私刊、限定47部。Kurt Seligmann、Wolfgang Paalen、René Magritte、Espinoza、Óscar Domínguez、Matta Echaurren、Max Ernst、André Masson、Yves Tanguy、Victor Brauner、Joan Miró、Man Rayらシュルレアリスム画家の作品をモノクロ印刷で収録。福永による別冊解説文を付す)の発見、そして中井英夫塚本邦雄三島由紀夫らがそれぞれ変名で寄稿をかさねた日本初の会員制男性同性愛雑誌「アドニス」についての博捜などで読書界を瞠目させることとなる、目録販売専門の古書肆青猫書房店主・阿部秀悦であった。支払いを済ませたとき、かれはまだ自身の書肆を開いてさえいなかったのだが。

 

実店舗を持たず、古書組合との交わりを断ち、仕入れをいわゆる背取り(他店の棚から甘い値付けの本を買い自店の商品とすることを指す)のみに絞り、総数200に満たない具眼の顧客のみに向け古書目録の頒布をかさねることで、青猫書房はその令名を高めていった。そこに並ぶ驚嘆すべき稀覯書の数々、そして巻末に添えられた探書逍遥と古書界消息の眩暈を記したエッセイの鮮やかな筆致は愛書家たちのあいだで格好の語り草となっている。書肆閉業後数年が経ったいま、氏のライフワークであった目録それ自体に浅からぬ古書価がつけられるのも、それを読むことのできた者にはなんら不思議と感じられないはずだ。

 

その青猫書房が終生の架蔵をつらぬいた書物こそ、三島由紀夫宛『水葬物語』だった。氏がデパート展でこれを得たのが1976年であるらしいから、今回市場にあらわれたのは実に45年振りということになる。半世紀の時が、古書の世界においてほとんど永遠を意味するにも等しいことは、蒐集に捧げた年月の重さを知る方々にはあらためて申し上げるまでもないだろう。

 

          *

 

まさにいまこの時にも幾多の歌人によって解き放たれてゆく現代短歌の可能性、それらひとつひとつを遡るならば並べてこの一巻へ集束されるという、おそるべき表現の虚焦点。ついに短歌をして“現代”の語を負わしめる定めへと導いた『水葬物語』の意義は、いまだ十全に汲み尽くされているとはいいがたい。歌人、蒐集家、大学図書館、文学館等、こころある諸家の探究にお役立ていただければと願う次第である。

 

I. 塚本氏は短歌を時間藝術から空間藝術へ移し變へた。氏の短歌は立方體である。
II. 塚本氏は短歌に新しい祭式を與へた。この異教の祭司によつて、短歌は新しい神を得た。
III. 塚本氏は天才である。

 

──パンフレット「〈律〉第三号に寄せられた諸家のことば」所収、三島由紀夫塚本邦雄頌」より全文

一二〇部はほとんど寄贈にあてた。献呈した歌人はその中の三分の一、大半は日頃一方的に敬愛する詩人・小説家である。私淑の最たる一人は三島由紀夫氏、読んでもらへるとは思はなかつたが、届きさへすればと発送した。

 

──アンソロジー『無名時代の私』(文春文庫、1995)所収、塚本邦雄「かへりこぬ」より

 
塚本邦雄『水葬物語』メトード社 昭和26年 限定120部の内第36番 三島由紀夫宛毛筆署名入献呈本 三島感応の歌に赤及黒鉛筆にて書入 カバー(ヌレ、背裏補修有) 拵帙

1,500,000円(税込)

 

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