相良宏の歌三十首

昨日、四月十四日は歌人相良宏の誕生日だった。かれの生地である雑司が谷に行き、お参りのようなことをしようと思っていたが、前日から雨が降り続いているうえ身体の具合も悪く、やめた。

相良は十九歳で肺結核を発病し、戦後すぐに旧北多摩郡清瀬村の療養所に入る。無理のない助辞にささえられた散文的な文体と、透明感のある名詞を用い「草水晶のような」(中井英夫)病床詠を残した一方、療養所内にて知り合った女性との失恋を引きずり、三〇歳で亡くなるまでたえず苦しみ続けた。歌を読むと、嫉妬心と劣等感がふくれあがるのを抑えられない人だったのだと思う。

以下、『相良宏歌集』(白玉書房、昭和三十一年)より収録順をかえりみず引用する。

 

生活といふには淡き生活の或る日心電図をとられをり

深ぶかと息吸へば手のあたたまる若葉の夜をわが眠るべし

四月より五月は薔薇のくれなゐの明るむことも母との世界 

どの窓かうたひいづこか花火してしづくを払ふ風のすぎゆく

追ひつめられつつ遊ぶに似たる思ひかな速きプルスとなりとどまらず

 

おとがひに辞書をあてつつ書見器に向かへる君のほそきラッセル

繊く裂きし紙をスカートに並べつつ言ひ出でし語に長くこだはる

読みゆきて会話が君の声となる本をとざしつ臥す胸の上

持ち換ふる手提に繍の紅くして携はり霧の交叉路に出づ

生垣の高きに沿ひて去る見つつはや恃めなき思ひ湧くかな

わが胸に手をのせ一夜寝し友は痰壷に緑の痰をのこしき

指白くドアの把手をまさぐれり美しければ虚偽多きかな君も

暗室の厚きカーテンに身を支ふ人に馳せ寄る君のこゑなり

星かげは激しき楽の如くにて苦しむ友に看護婦を待つ

冬がれのポプラにかかる白き凧訃報をうけし視野にうかびつ

やみやせて会ふは羞しと死の床に囁きしとぞ君は誰がため 

  

金星が描きて沈む弧のかなし君に数学をまなびしことも

野鳩呼ぶ冷たき草を敷きし日も風説の中に君直かりき

訊き返しながら怯ゆる表情をいつよりかわが懐かしみをり

相眠る墓をねがひし愚かさの白じらとして夜半にさめをり

許し乞ひくづるる髪の匂ひたるかの日の夢を今は信ぜむ

暁にさめつつ思ふ君の死を緩衝として保つ生命か

癒ゆるなき身は佇めり浮き出でし魚ら鋭き秋日をみだす

こひねがひなべて虚しく手を涵す秋のれんげの柔かにして

ささやきを伴ふごとくふる日ざし遠き紫苑をかがやかしをり

晴れし日は魚かぎりなき街なかの泉をうめて歯科医院建つ

無花果の空はるばると濁るはて沼に灯映す街もあるべし

茫然と我をながれし音楽に現実の楽は少し遅れぬ

脚あげて少女の投げし飛行機の高きコスモスの中にとどまる

疾風に逆らひとべる声の下軽羅を干して軽羅の少女

 

『相良宏歌集』に収められた岡井隆による後記を読むと、相良の作歌ノートはその多くが横書きで記されていたことがわかる。また幾度にもわたる改作を厭わなかったことも。

いま相良宏の歌を読むとなると、容易に手に入るのは筑摩書房版『現代短歌全集 13』(『相良宏歌集』全編収録)か、三一書房版『現代短歌大系 11 新人賞作品 夭折歌人集 現代新鋭集』(抄録)のどちらかになるだろうか。これらに含まれない歌が「未来 19861月号  No. 408 特集・相良宏とその時代」に収められているとのことだが、私は未見。いい機会なので未来短歌会に注文してみる。

また、相良宏の交友関係や恋愛の内実については大辻隆弘『岡井隆と初期未来』(六花書林、平成十九年)に詳しい。現在大辻は「レ・パピエ・シアン」にて「相良宏の青春」を連載中である。

現代短歌全集〈第13巻〉昭和三十一年~三十三年

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岡井隆と初期未来―若き歌人たちの肖像

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